フェルナンド・トーレス-愛されるレジェンドの物語-

新しいシーズンを日本のJリーグ、サガン鳥栖で迎える事を発表したフェルナンド・トーレス、彼はアトレティコ・マドリードの伝説となりました。アトレティコとトーレスの足跡を振り返ります!!

スポンサーリンク

フェルナンド・トーレス

2017~2018シーズン最終戦(VSエイバル)に出場したフェルナンド・トーレス、この試合がアトレティコでの最終戦となりました。アトレティコの赤白のユニフォームを身に纏い、これまで戦ってきた試合数は404試合、通算129ゴールを挙げました。子供の頃にクラブに加入したフェルナンド・トーレスは、アトレティコの伝説的プレーヤーとして別れを告げます。

アトレティコでの最終戦VSエイバル、ゴールを決めたトーレスの勇姿にチームとサポーターが一体となった。

 

アトレティコでの足跡

アカデミー加入

フェルナンド・トーレスがアトレティコのアカデミーに加入したのは11歳の時でした。トーレス自身がアトレティコの大ファンでした。これはトーレスの母方の祖父、エウラリオがアトレティコファンであった事によるものでした。

 

トップチームへ

2001年5月27日、弱冠17歳にして、トーレスはビセンテ・カルデロン(アトレティコの旧本拠地)でのレガネス戦でデビューを果たしました。そして7日後に行われたアルバセテ戦で、アトレティコのサポータに贈る自身の初ゴールを記録しました。

翌シーズン(2002~2003シーズン)、トーレスは1部に昇格したチームの初戦をカンプ・ノウ(バルセロナ戦)で迎えました。試合を経るごとにピッチ内外で結果を残し続けたトーレスは、アトレティコのレジェンドとしての地位を構築していきました。

 

アイドルの移籍

2007年夏の移籍市場にて、トーレスはアトレティコを離れ、リヴァプールとの契約に至りました。しかし、リヴァプールへの移籍に際して、トーレスはアトレティコへの帰還を約束しました。トーレスは次の様な言葉を残しました。

『僕は、(今回の移籍)これが短い別れであることを願っている。アトレティコへ帰るという思いは、今後、いつでも僕の心の中に在り続けるだろう。』

 

アイドルの帰還

トーレスは、紛れもなくアトレティコへと帰ってきました。2015年1月4日、アトレティコが愛するアイドルの帰還を祝福すべく45,000人のサポーターがビセンテ・カルデロンへと詰めかけました。

アトレティコへの帰還以来、トーレスは私達に寄り添い、ゴールという結果を量産し続けました。2016年2月6日、エイバルとの1戦でトーレスはアトレティコでの通算100ゴール目を記録し、アトレティコの勝利に貢献しました。トーレスは自身のアトレティコ100ゴール目を、アカデミー時代の指導者であったマヌエル・ブリーニャスに捧げました。

 

スタジアムと時代を刻む

ビセンテ・カルデロンでの最終戦(アトレティコは本拠地をワンダ・メトロポリターノへ移した)で、トーレスは2ゴールを記録しました。アトレティコがアスレティック・ビルバオに対して挙げた3ゴールのうち2ゴールをトーレスが決めました。トーレスが自身のデビューを飾ったスタジアムへの餞別という意味では、考えられる中で最高の別れの形でした。

新スタジアムのワンダ・メトロポリターノで迎えたASローマ戦、この試合に出場したトーレスは、ルイス・アラゴネスが持つ370試合出場の記録を更新しました。

 

夢を叶えたラストシーズン

2018年4月15日、レバンテ戦でゴールを挙げたトーレスはアトレティコ通算127ゴール目を記録しました。この数字は、アトレティコの歴代ゴール数トップ5の記録となりました。

この1か月後、トーレスとアトレティコはリヨンで開催されたUEFAヨーロッパリーグ決勝で勝利し、優勝を果たしました。

このヨーロッパリーグ優勝はトーレスが子供の頃から抱いてきた夢、アトレティコ・マドリードでヨーロッパのタイトルを獲得する、その夢の実現でした。


『夢を持つ全ての子供たちへ・・・不可能な事は何一つとしてない。もし君がアトレティコであるならば、まして不可能な事は何一つとしてない。』byフェルナンド・トーレス

フェルナンド・トーレスはエル・ニーニョからレジェンドへ!!ありがとう!!

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください