NUMBER10-受継がれる背番号-」カテゴリーアーカイブ

ユベントスFC-受継がれる10番-

ユベントスFCという名の物語

現在セリエA、7連覇中のユベントスFCは、セリエAで最も成功したクラブの1つであり、獲得スクテッド回数もセリエAで最多、世界でも指折りのトップクラブである事に間違いはありません。しかし、そんなユベントスFCにも降格や低迷期という時代がありました。

2006年の審判買収疑惑に端を発する『カルチョスキャンダル』によって、ユベントスFCは2部降格に陥りました。2部降格に伴い、多くの主力選手を放出せざる得ませんでしたが、10番を含め、一部の主力選手が残留、1年でのセリエA復帰を果たしました。

セリエA復帰を果たしたユベントスFCでしたが、復帰後のセリエAでタイトルから遠ざかる低迷期を迎えます。低迷期からの脱却は2011~2012シーズン、アントニオ・コンテ監督の下、クラブ占有の新スタジアムを携え、スクテッドを勝ち取りました。この優勝を境に、降格の苦境期も共に乗り越えてきたバンディエラは欧州から引退、クラブから去りましたが、その後10番を受継ぐ、欧州屈指の実力者や才気煥発な若い力によって、セリエ7連覇という絶対的王者の地位を確立しています。

続きを読む

セビージャFC-受継がれる10番-

セビージャFCという名の物語

1999年代後半、財政的に苦境期にあったセビージャFCは、1部2部を往来する低迷期にありました。この中堅クラブの域を出ない存在を大きく変革したのは、2000年にスポーツディレクター(以後SDと表記)に就任したラモン・ロドリゲス・ベルデホ=通称モンチSDでした。モンチSDは財政的苦境を転換させるべく、「安く買い高く売る」・「下部組織の強化」という2本の矢をクラブのビジネスモデルに取り込みました。その結果、クラブは財政再建を果たしました。強豪チームへと変貌したセビージャFCが最も脚光を浴びたのは、2013~2016にかけてのEL3連覇という偉業でしょう。2013年に就任したウナイ・エメリ監督に率いられたセビージャFCは予選3回戦から勝ち上がりEL優勝を果たしました。セビージャFCの本領が発揮されたのは、ここからでした。2013~2014のEL優勝、2014~2015のEL優勝、一度優勝を経るごとにチームの中心選手達がビッグクラブに移籍していきました。しかし、それでも2015~2016にセビージャFCはEL3連覇を成し遂げたのです。これは選手売却と選手補強に長けたモンチSD、新たな戦力に対応した戦術構築に長けたエメリ監督、この2人によってもたらされた、クラブ変革の集大成と言える結果でした。

3連覇を果たしたエメリ監督は勇退、2017年にはモンチSDも退任しました。セビージャFCにとって、また新たな挑戦が始まっています。

今回はリーガ・エスパニョーラの強豪、セビージャFCの10番に注目します!!!

 

2015年~2016年のNUMBER10

『セビージャの神童』という愛称を持つ、ホセ・アントニオ・レジェスは2度セビージャのユニフォームに袖を通しています。レジェスが10番を背負ったのはセビージャに帰還していた、2015~2016シーズンでした。

レジェスは、10歳でセビージャの下部組織に入団、16歳にしてトップチームデビューを果たしました。2001~2002シーズンには開幕からスタメンの座を掴むなど、持ち前の快速を活かしたドリブルを武器にセビージャのトップチームで4シーズンを過ごしました。これがレジェスの最初のセビージャ時代であり、合計86試合に出場22得点を記録、レジェスはその後アーセナルへ移籍します。

セビージャへの帰還は2012年1月、欧州のクラブを渡り歩いた実績と経験から、チームの精神的支柱としての役割を果たし、109試合に出場しました。特に、ウナイ・エメリ監督の下、セビージャが成し遂げたEL3連覇という偉業に大きく貢献しました。

しかし、2015~2016シーズンには虫垂炎の手術などで戦列を離れる機会が多く、最終的に新天地へと移籍を決断しました。

 

セビージャFC TIP

スペイン、ラ・リーガには、アトレティコとレアルが対峙するマドリードダービ、レアルとバルセロナが対峙するエルクラシコが存在します。しかし、これらの戦い以上に熱い1戦とされるのが、『セビリアダービー』です。

セビリアダービーはセビージャFCと同地区のレアル・ベティスによるダービーマッチです。セビージャ市を2分する両者ですが、実は、レアル・ベティスの大元はセビージャFCなのです。

というのも、レアル・ベティスが設立されたのは1914年であり、その設立理由は、当時のセビージャFC首脳陣が引き起こした内部対立によるものでした。ファンによる衝突事件や試合の中断など、ダービーマッチでは何かしら起こるほどに熱い戦いですが、大元は1つ・・・

セビージャ市、市民に根付く、フットボールへの熱量の凄さが感じられます。

 

2016年~2017年のNUMBER10

マルセイユ、アーセナル、そしてマンチェスター・シティでの活躍を経て、2016年8月31日、移籍市場最終日にセビージャへのレンタル移籍が決まりました。レンタル移籍ながら10番を背負う所に、サミル・ナスリという選手が『違い』を生み出せる選手である事を間接的に証明しているでしょう。

しかし、2016年12月、サミル・ナスリにドーピング疑惑が浮上、欧州サッカー連盟、スポーツ仲裁裁判所を巻き込む事態となりました。この事態の中、2016~2017シーズン終了後、セビージャが完全移籍に必要な金額、ナスリ本人への高額年俸の双方を負担出来ないと判断した結果、ナスリは1年でマンチェスター・シティへと復帰しました。

 

現在のNUMBER10

現在、セビージャで10番を背負うのは、ホセ・アントニオ・レジェスと同じく、セビージャに帰還したエベル・バネガです。セビージャへの最初の移籍は、2014年、バレンシアで共闘した恩師、ウナイ・エメリ監督と再度タッグを組みました。2014~2016の在籍で、2度のELタイトル獲得に貢献、59試合で8得点の記録を残しました。

翌2016~2017シーズンはインテルへ3年契約での移籍を決断します。セリエAでキャリア初のハットトリックを記録しますが、インテルで主力ポジションを確保するまでには至りませんでした。その結果、2017~2018シーズン、セビージャへの帰還が発表されました。

中盤をどこでもこなせる万能的なスタイル、長短問わないパス精度の高さでセビージャ攻撃陣をビルドアップ、スルーパスで牽引しています。

 

セビージャFC:まとめ

ウナイ・エメリ監督の下、EL3連覇を果たした後、セビージャは新しいステージに入っています。2017~2018シーズンは指揮官の解任もありました。もう一度、競争力の高い集団へと組織を再構築していく事が不可欠な状況でしょう。

その中で、セビージャの10番に求められる役割とは、技術的な違いを生み出せる事のみならず、チームの中心、精神的支柱としての役割も求められるでしょう。かつて、ホセ・アントニオ・レジェスが精神的支柱として存在したように、現在10番を背負うバネガにも同様の役割が期待されていくでしょう。

セビージャFCで受継がれる10番に敬意を〆

FCポルト-受継がれる10番-

FCポルトという名の物語

FCポルトはポルトガルリーグに於いて唯一無二の輝きを放つクラブです。その理由は2つあります。第1にクラブが獲得してきたタイトル、そして、第2に素晴しい選手育成力です。

プリメイラ・リーガ=国内1部リーグに所属し続け、1994~1995に掛けてはリーグ5連覇、更には2010~2011、シーズン無敗優勝を記録しています。また、その実力は欧州レベルの大会でも発揮されています。EL優勝2回、CL優勝2回、更にはクラブ世界一の称号も獲得しています。

この様に、欧州トップクラスの実績を有しながら、FCポルトが選手育成を怠る事はありませんでした。FCポルトによって発掘された、当時は未だ無名の若きタレントの多くが、FCポルトの育成環境で才能を開花させ、ビッグクラブへと羽ばたいて行きました。

今回は、ポルトガルで異彩を放つFCポルト、期待の新生達が集うクラブで近年10番を背負ってきた選手達に注目します!!!

続きを読む

ASローマ-受継がれる10番-

ASローマという名の物語

ASローマは今、再び、欧州フットボールシーンで再浮上のキッカケを掴みつつあるのかもしれません。2017~2018シーズン、CLラウンド8でバルセロナを逆転劇で打ち破った功績は後世に語り継がれるに相応しい試合でした。

ASローマを紐解くうえで、『バンディエラ』=『旗頭』というキーワードは必要不可欠です。その理由は、1999年以降、2017年に至るまで、監督が変わろうともチームと共に歩み続けた選手の姿があったからです。

ファビオ・カペッロ体制の2000~2001シーズンにはセリエA優勝、スパレッティ体制の2006~2007・2007~2008にはコッパイタリアを2連覇、ラニエリ体制の2009~2010にはリーグ24戦無敗のクラブレコードを打ち立てました。

2010年以降、新オーナーを迎える事で、チーム内の選手層が大きく変化していきます。若く将来を嘱望される選手を多く獲得するチームの中でも、ASローマと歩み続けた10番は不変でした。2017年に引退を表明しチームを去る時が来るまで、ASローマと10番の物語は紡がれ続けました。

 

ASローマTIP

ASローマのエンブレムには狼が描かれているのを御存知でしょうか?この狼は古代ローマの建国神話に由来するものです。ローマ建国神話に登場する、初代王:ロムレスとその双子の弟レムスは幼少期にテヴェレ川に流され、その過程でテヴェレ川の精霊に助けられました。その後、精霊は双子の養育を川の畔に住む雌狼に託したとされています。つまり、ローマ建国を助けた狼をエンブレムに用いることで、ASローマの、ローマとしてのアイデンティティを示しているという訳です。

 

2001年~2017年のNUMBER10

ローマ・エース・06-07トッティ

フランチェスコ・トッティがASローマでトップデビューを果たしたのは1993年、1994~1995シーズンにはレギュラーとして定着しました。世界最高峰の選手として名を馳せるのは、1999年から監督に就任した、ファビオ・カペッロ監督の下、当初起用されていた左ウィングからトップ下へコンバートされた事で攻撃的MFとしての万能性を開花させました。2000~2001シーズンにはリーグ13ゴールを記録しASローマの18年ぶりのスクテッドに貢献、セリエA最優秀選手に選出されました。2005年から指揮を執ったルチアーノ・スパレッテイ監督の下では、新たな役割りを与えられ、ゼロトップ戦術を欧州に伝播させました。この戦術に於いて、最前線(ワントップ気味)で起用され、ポストプレーを多くこなす事を求められました。2006~2007シーズンには、セリエA得点王を獲得し、欧州トップスコアラーに贈呈されるゴールデンブーツ賞も獲得しました。その後もASローマで活躍を続け、2017年5月25日、下部組織時代から28年間在籍したバンディエラは現役引退という形でクラブを去る事を表明しました。

ローマ・エース06-07トッティverK

ローマ・Gold13-14トッティ

 

ASローマ:まとめ

選手の移籍金が高騰し、ビッグクラブの選手市場への投資額も大きくなる近年の欧州サッカーに於いて、28年間も同一クラブに在籍し、17年間10番を背負い続けた選手の凄さ、偉大さは計り知れないものだと思います。欧州トップクラスの有名選手であったとしても、キャリアの晩年は長年在籍したチームを去らなければならないケースも最近は常態化しています。

トッティが引退し、ASローマは新しいステージに入ったことに間違いはないでしょう。クラブが10番を永久欠番とするのか、トッティの後継者として誰かしらが受継ぐのかは未だ判りません。ローマの王子が背負った10番が、再びピッチ上で躍動する時、それはASローマと10番の新しい物語が動き出す時に他ならないでしょう。

マンチェスター・シティ-受継がれる10番-

マンチェスター・シティという名の物語

2017~2018シーズン、ジョゼップ・グアルディオラ体制2年目を迎えたマンチェスター・シティは、昨季の無冠を払拭するかの如く、プレミアリーグで圧倒的得点力を誇り、4季ぶりのリーグ優勝を勝ち取りました。

近年こそ、マンチェスター・シティはプレミアリーグ、欧州カップで存在感を高めています。しかし、2010年以前は、華やかな成功を収めるライバルチーム、マンチェスター・ユナイテッドの陰で、長きに渡る低迷期にありました。

2007年、新オーナーを迎えたマンチェスター・シティは低迷期を脱却すべく、大幅な戦力刷新によって試行錯誤を行います。2010~2011シーズンには35季ぶりのFAカップ優勝・クラブ史上初のCL出場権を獲得、2011~2012シーズンには最終節後半アディショナルタイムに逆転し劇的なプレミアリーグ優勝を果たしました。

マンチェスター・シティに受継がれる10番は、チームの低迷期から成長期、飛躍期をチームと共に歩んできたと言えるでしょう。

今回は、『蒼き月』の10番に注目します!!!

 

2008年~2010年のNUMBER10

マンチェスターシティ・エース08-09ロビーニョ

2008年9月1日、移籍市場最終日にレアル・マドリードから移籍してきたロビーニョは、加入初年度から攻撃陣を牽引し、14ゴールを記録しました。しかし、クラブ合宿の無断離脱、素行問題が表面化した事でマーク・ヒューズ監督とも衝突、チームも10位に終わりました。翌2009~2010シーズンは本調子から遠ざかり、出場機会が減少、2010年1月にレンタル移籍を決断しました。加入初年度が最も印象的な活躍でした。

 

2010年~2015年のNUMBER10

マンチェスターシティ・エース13-14ジェコ

2011年1月7日、ブンデスリーガ、ヴォルフスブルクから移籍してきたジェコはマンチェスター・シティで重要な活躍を果たしました。マンチェスター・ユナイテッドとの優勝争いが最終節までもつれた2011~2012シーズン、絶対勝利が必要ながら追いかける展開となったシティに、途中出場ながら後半アディショナルタイムに値千金の同点弾をもたらし、奇跡の逆転優勝へ繋げました。

2012~2013シーズンにはチーム得点王の14ゴールを、2013~2014シーズンには16ゴールを記録しリーグ優勝に再び貢献しました。マンチェスター・シティの成長期に於いて、ジェコは数多くの記憶に残るゴールを挙げた選手だと思います。

 

マンチェスター・シティTIP

マンチェスター・シティのテーマには『Blue Moon』と言われるジャズナンバーがあります。シティのサポーター達に歌われてきたこのナンバーに、マンチェスター・シティが『蒼い月』と言われる所以があるようです。

『蒼い月』という言葉には、『極めて稀な』という意味があります。マンチェスター・シティはクラブの歴史上、『極めて稀な』体験を幾つもしており、その予測不能な展開こそが、ファンの心を掴み、応援に掻き立てる魅力なのかもしれません。幾つか具体的な事例を紹介します。

①1936~1937シーズンにリーグ初優勝を果たすも、翌シーズンに2部降格

②1957~1958シーズン、年間42試合で104得点100失点という3ケタ記録を樹立

③2009年、新オーナー就任に伴い一気に欧州トップの資金力クラブに変貌

④2011~2012シーズン最終節、後半アディショナルタイムに2得点を挙げ逆転優勝

良い事も悪いことも、予測不能な展開だからこそフットボールは面白い、それを本質的に体現するチームなのかもしれません。

 

マンチェスター・シティ:現在のNUMBER10

マンチェスターシティ・Live16-17アグエロ

2011年7月28日、5年契約で加入したアグエロは加入初年度から鮮烈なパフォーマンスで期待に応えました。特に、2011~2012シーズンの優勝争い最終節では、92分ジェコの同点弾から2分後の94分に逆転弾を叩き込み、チームを44シーズンぶりのリーグ優勝に導きました。

2014~2015シーズンには、マンチェスターダービーで2ゴール、最終的に26ゴールを記録し初のプレミアリーグ得点王に輝きました。ジェコの移籍に伴い10番を担うようになった2015~2016シーズン以降も得点量産ペースに変わりはなく、2017~2018シーズンにはクラブ通算得点記録を更新するなど、今なお10番としてマンチェスター・シティの攻撃陣を牽引しています。

 

マンチェスター・シティ:まとめ

低迷期を過ごしていたマンチェスター・シティの面影は最早見当たりません。チームは試行錯誤の末、大きく成長し、飛躍しました。そして、今、ジョゼップ・グアルデイオラ監督体制で、欧州制覇という最も難しい道程を歩んでいると言えるでしょう。その目標を達成するには、10番の活躍が必要不可欠です。チームの低迷期も成長期も、飛躍期も、チームと共に歩んできた10番が欧州制覇をもたらす日は近いかもしれません。

マンチェスター・シティで受継がれる10番に敬意を〆

バルセロナ-受継がれる10番-

FCバルセロナという名の物語

現代のサッカーシーンに於いて、バルセロナというクラブの存在感は絶大です。それは、バルセロナが国内リーグ・欧州カップで数々のタイトルを獲得してきたからという理由だけで片付くものではありません。トータルフットボール・ポゼッションサッカー・ティキタカなど、現代フットボールを突き動かす戦術、概念を具現化し、素晴しい結果を伴い、発信してきた事にも起因するでしょう。

バルセロナは、2つの存在によって支えられています。

『会員』と『選手』です。

一般市民から会員を募り、その会費でチーム運営を行うバルセロナは、カタルーニャ文化の象徴としての役割を色濃く果たしています。トップチームには無論、世界最高峰のプレイヤーが集います。しかし、その構成は外部から獲得した選手だけではありません。下部組織『カンテラ』が数多くの有能多才なプレイヤーをトップチームに輩出してきました。

このバルセロナで10番を背負う意味、それはバルセロナが培ってきた『文化』と『才能』の発露を一身に背負う使命を課せられた唯一無二の存在だと言えるでしょう。

今回は、欧州王者、バルセロナの10番に注目します!!!
 
 

2003年~2008年のNUMBER10

バルセロナ・エース2005-2006ロナウジーニョ

バルセロナとの契約は2003年、当時のバルセロナの会長が公約に掲げていたデヴィッド・ベッカム獲得オペレーションが失敗に終わった事で実現しました。加入初年度こそ、チームは2位に終わりましたが、2年目の2004~2005シーズンにはリーグ優勝・FIFA最優秀選手賞を、3年目の2005~2006シーズンにはリーグ優勝・CL優勝・FIFA最優秀選手賞・CL最優秀選手賞を獲得しました。

2005~2006シーズンが獲得タイトルとして最も華やかなシーズンであった事は間違いないでしょう。加えて、バルセロナの10番ロナウジーニョを最も印象的にする出来事も、このシーズンに起こりました。2005年11月19日、ロナウジーニョは敵地ベルナベウでのクラシコにて、 2ゴールを記録しました。バルセロナの勝利を決定付ける2ゴール目、宿敵レアル・マドリードの本拠地ベルナベウはスタンディング・オベーションをもって、ロナウジーニョを称えたのでした。

 

バルセロナTIP

ロナウジーニョにはロベルトという兄が居ます。ロベルトもロナウジーニョと同じくサッカー選手として、地元グレミオにてキャリアをスタートさせました。引退後はロナウジーニョの代理人を務め、ブラジルサッカークラブのオーナーとしても活動しています。

その、ロベルトが1999年、Jリーグに在籍していた事を御存知でしょうか?1999年、コンサードーレ札幌に『アシス』という登録名で在籍していました。ロベルトは日本だけではなく、スイス、ポルトガル、メキシコなど、世界各国のクラブを渡り歩いた選手だったようです。

 

バルセロナ:現在のNUMBER10

バルセロナ・Live+メッシ17-18

2008~2009シーズン、ロナウジーニョがACミランへ移籍し、バルセロナの10番はメッシが背負う事になりました。このシーズン、メッシはエトオ、アンリと共にゴールを量産、ラリーガ優勝・コパデルレイ優勝・CL優勝の3冠を成し遂げました。

2009年度バロンドールを受賞すると、2010年、2011年、2012年、2015年と計5回のバロンドール受賞を達成しました。2008年から2017年に至るまで、6度のリーグ優勝、3度のCL制覇を達成、個人記録に視点を移せば、CL通算100ゴール、クラブ公式戦600ゴールなど、次々と節目の記録を更新し続けています。

バルセロナ・Liveメッシver1・16-17

 

バルセロナ:まとめ

振り返れば、2003年から2018年までバルセロナの背番号10は2人の選手によって受け継がれてきました。奇しくも、ロナウジーニョは外部補強の選手、リオネル・メッシはカンテラ育ちの選手、異なる境遇を持つ2人でした。2人に共通するのは、バロンドールを受賞する世界最高のクラックであり、バルセロナに、『カンプ・ノウ』に、幾度となく歓喜をもたらしてきたという事でしょう。

ロナウジーニョは今季引退を表明しました。メッシは2017~2018シーズンもバルセロナの10番として健在です。バルセロナにこの2人が居た事こそが、バルセロナが欧州トップクラブとして君臨してきた事の1つの証左だと改めて思います。

バルセロナで受継がれる10番に敬意を〆

パリ・サンジェルマン-受継がれる10番-

パリ・サンジェルマンという名の物語

2000年代初頭こそは、国内リーグでも停滞期にあったPSG・・・

しかし、2011年にカタール・スポーツ・インベストメントが筆頭株主、2012年には単独株主となる事で、競争力のある選手を獲得、急速な戦力強化を図ってきました。

2011~2012と2016~2017の2シーズンこそ、国内2位に終わりましたが、2012年から2016年は4連覇、UCLでもベスト8進出を継続するなど、国内外で実力を発揮する地盤は着実に固まっています。

1973年以来、ホームスタジアムとする『パルク・デ・プランス』では『Ici c’est Paris』=『ここがパリだ』というスローガンの下、多くのサポーターが詰めかけます。また、気品溢れる同スタジアムには、世界のセレブ達に愛される『Carre』と言われる貴賓席が設けられ、クラブ経営の重要戦略拠点にもなっています。

今回はリーグ・アンから欧州覇権を狙うPSGの10番に注目します!!!

 

2008年~2011年のNUMBER10

パリエース08-09セセニョン

ペナン出身のステファン・セセニョンはPSGと4年契約を結びました。2008~2009シーズンには49試合出場、8得点11アシストを記録、リーグ最優秀選手賞とクラブ最優秀選手賞にノミネートされる活躍を見せました。この活躍により、プレミアリーグからの獲得打診が届きましたが、最終的にPSGとの契約延長を決断、2011年までPSGで10番を背負いました。

 

2011年~2012年のNUMBER10

パリエース11-12ネネ

フリーキック能力と類稀なる攻撃センスを兼ね備えたネネ、かつてPSGでプレーしたロナウジーニョと比較される存在でした。2010~2013までPSGに在籍し、79試合、36得点を記録した彼が最も活躍したのは、2011~2012だと言えるでしょう。このシーズン、リーグ・アンで21得点を記録、チームは最終的に2位に甘んじたものの、自身は得点王に輝きました。

 

寄り道紀行:パリ・サンジェルマン

次に背番号10を付ける選手はパリに、『パルク・デ・プランス』に、名言を残して去っていきました。『I came like a king, left like a legend』(王として来、伝説として去)。この名言の主とは?

フランス元大統領、サルコジ氏は熱烈なPSGファンであり、青年時代には『パルク・デ・プランス』の年間シートを保有していたとか・・・若手政治家として名を馳せてからは、冒頭に記した貴賓席で、PSGのホームゲームを全試合LIVEで観戦されているらしい。熱烈なファンにとっては堪らない時間だと思います。

貴賓席『Carre』=カレには242ものVIP席が用意されており、貴賓の要望を満たす、コンシェルジュが常駐しているとか・・・もし、『パルク・デ・プランス』で試合観戦する機会があるのなら、貴賓席にも注目してみては!??

 

2013年~2016年のNUMBER10

パリエース12-13イブラヒモビッチ

かの名言の主はイブラヒモビッチでした。2012年にPSGと3年契約を締結した際、背番号は18番だったものの、2012~2013シーズン途中でネネがPSGを退団した事でイブラヒモビッチが10番を継承しました。欧州で圧倒的実績を携える彼は、加入シーズンに30得点を記録し、PSGの19シーズンぶりの優勝に大きく貢献、個人賞でもリーグ・アン得点王、リーグ最優秀選手賞に輝きました。その後のシーズンでも得点量産体制は不動であり、2015年のフランスダービー(VSマルセイユ)でクラブ通算得点記録を更新しました。122試合113得点は伝説に相違ないでしょう。

 

2016年~2017年のNUMBER10

パリセレクト16-17パストーレ

パストーレがPSGに加入したのは2011年でした。加入当初は背番号27でした。加入初年度から、13ゴール6アシストを記録するなど、リーグ・アン史上最大の移籍金額と言われるトランスファーディールに相応しい活躍を発揮しました。2012年以降、PSGの4季連続優勝に貢献したパストーレに10番が巡り合うのは2016~2017シーズンでした。前任者、ズラタン・イブラヒモビッチの10番を継承しましたが、2017~2018シーズンには、新たな選手に10番を譲る意志を示し、パストーレは再び27番の背番号を選択しました。

 

PSG:現在のNUMBER10

パリ・ネイマールLIVE+17-18

2017年8月3日、PSGとの5年契約が発表された衝撃は、記憶に新しいワンシーンでしょう。バルセロナからの移籍はPSGのプロジェクトの目玉でもあり、パストーレが譲った10番も、その意味を如実に物語ります。加入シーズン、ここまで20試合20ゴールを記録しています。シーズン終盤、怪我によって離脱する事になりましたが、今後PSGが欧州覇権を手にするには、ネイマールの存在が絶対的に必要となるでしょう。

 

総括:パリ・サンジェルマン

国内で圧倒的強さを獲得したPSGにとって、目標がCL制覇である事に疑問の余地はないでしょう。ここ数年、ベスト8どまりになっている結果、特にバルセロナ大逆転劇の引き立て役となって以来、補強戦略を含め、風当たりが強まっています。しかし、欧州フットボールの世界は、勝てば官軍、優勝すれば批判も風当たりもやむ事でしょう。その中心的役割は今、ネイマールに託されています。

ここまで、5人の10番を紹介してきました。その足跡はチーム発展の足跡とも言えるでしょう。

パリ・サンジェルマンで受継がれる10番に敬意を〆