ユベントスFC-受継がれる10番-

ユベントスFCという名の物語

現在セリエA、7連覇中のユベントスFCは、セリエAで最も成功したクラブの1つであり、獲得スクテッド回数もセリエAで最多、世界でも指折りのトップクラブである事に間違いはありません。しかし、そんなユベントスFCにも降格や低迷期という時代がありました。

2006年の審判買収疑惑に端を発する『カルチョスキャンダル』によって、ユベントスFCは2部降格に陥りました。2部降格に伴い、多くの主力選手を放出せざる得ませんでしたが、10番を含め、一部の主力選手が残留、1年でのセリエA復帰を果たしました。

セリエA復帰を果たしたユベントスFCでしたが、復帰後のセリエAでタイトルから遠ざかる低迷期を迎えます。低迷期からの脱却は2011~2012シーズン、アントニオ・コンテ監督の下、クラブ占有の新スタジアムを携え、スクテッドを勝ち取りました。この優勝を境に、降格の苦境期も共に乗り越えてきたバンディエラは欧州から引退、クラブから去りましたが、その後10番を受継ぐ、欧州屈指の実力者や才気煥発な若い力によって、セリエ7連覇という絶対的王者の地位を確立しています。

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1995年~2012年のNUMBER10

ユベントスFCのバンディエラと言えば、デル・ピエロでしょう。デル・ピエロは1993年にユベントスFCに移籍して以来、欧州サッカーから引退する2012年まで、ユベントスFC一筋でプレーしました。デル・ピエロが背番号10を背負う事になったのは、1995~1996シーズン、前任のロベルト・バッジョがACミランへ移籍した事によります。エース、デル・ピエロを中心とした攻撃陣の活躍により、ユベントスFCは1995~1998の3シーズンで3度のCL決勝進出(優勝1回)、スクテッド2回を勝ち取りました。

しかし、個人もチームも良い時ばかりではありませんでした。1998~1999シーズンには、左膝十字靭帯断裂の大けがを負い、怪我からのリハビリ、リハビリ後のスランプ、活躍出来ない時期が続き、チームもエースと同様に低迷期を迎えました。2001~2002シーズン、デル・ピエロが完全復活のリーグ16ゴールを記録すると、チームも4年ぶりのスクテッドを獲得、翌2002~2003シーズンも優勝し連覇を果たしました。

好転した流れも2006年に発覚した、ユベントスFCのGMによる審判買収『カルチョ事件』によって再び暗転します。デル・ピエロとユベントスFCに大きな転機が訪れたと言えるでしょう。この事件を受けて、ユベントスFCは2部降格の処分になりました。多くの主力選手が流出し、デル・ピエロにもマンチェスター・ユナイテッドから移籍オファーが届きました。このオファーに対し、デル・ピエロは先頭を切ってチーム残留を表明、その表明によって、ネドベド、ブッフォンといった選手も残留を決意しました。ユベントスFCとデル・ピエロの物語は終わりませんでした。

セリエBで得点王となったデル・ピエロはチームを1年でセリエAに復帰させました。そして、翌2007~2008シーズンにはセリエAでも得点王を獲得、史上2人目のセリエBセリエA連続得点王を成し遂げました。

2011~2012シーズン、新たにユベントスFCの監督に就任したアントニオ・コンテ監督と共に、リーグ無敗優勝を決めました。この年、ユベントスFCは新スタジアムを完成させており、同スタジアムでバンディエラと共に迎えた最初で最後の優勝となりました。

デル・ピエロは2011~2012シーズン限りで、1993年から過ごしたユベントスからの退団を表明し、長年背負ってきた10番は次の選手へと受継がれる事になりました。

 

2013年~2015年のNUMBER10

デル・ピエロの後を受継いだのは、マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティで活躍し、経験、実績共に申し分ないカルロス・テベスでした。加入当初こそ、プレミアからセリエに移籍してきた選手という事もあり、デル・ピエロを始め名プレーヤー達が背負ったユベントスFCの10番に相応しい存在であるか、懐疑的な声もありました。

しかし、173cmと小柄ながら、プレミアで活躍してきた所以たるフィジカルの強度、鋭いドリブル技術、キャノンシュートを駆使する得点能力で、加入初年度にはチーム最多の19ゴールを挙げ、懐疑論を吹き飛ばしました。

2014~2015シーズンには32試合に出場、20ゴールを量産しリーグ優勝とコッパ・イタリア制覇をもたらしました。また、CLでも13試合7ゴールを記録し、ユベントスFCの決勝進出に貢献しました。

 

ユベントスFC TIP

2011年に完成したユベントスFCの新スタジアム、『ユベントス・スタジアム』(現在はアリアンツ・スタジアム)は当時のセリエAに於いて、初めてのクラブ占有スタジアムでした。セリエAの多くのクラブは経営状態、スタジアムへの観客動員数、警備上の治安問題など経済的、安全保障の面から自治体所有のスタジアムでクラブが試合をするケースが殆どです。ユベントスFCは新しい占有スタジアムを確立し、プレミアリーグの経営術を模範に、ショッピングセンター・レストランをスタジアムに併設しました。集客環境の改善による効果は大きく、毎試合ほぼ満席、収益源泉も増加するという結果になりました。ビジネス面でも強さを発揮する事が、欧州トップクラスの競争力を維持するためには不可欠だと言う事でしょう。

 

2015年~2016年のNUMBER10

2015~2016シーズン、ユベントスFCの10番を背負ったのは、マンチェスター・ユナイテッドから出場機会を求めユベントスFCにフリー移籍していたポール・ポグパでした。2012年からユベントスFCに在籍するポグパは移籍初年度に27試合5ゴール、2013~2014シーズンにはレギュラーとしてポジションを確保し35試合で7ゴールを記録しました。短期間で一躍トップスターへと駆け上がったポグパはテベスの母国復帰に伴い、ユベントスFCの10番を背負う事になりました。2015~2016シーズン、ユベントスFCのセリエ5連覇、コッパ・イタリアの制覇に貢献しましたが、翌2016~2017シーズン開幕前、当時の移籍市場史上最高額となる約124億円でマンチェスター・ユナイテッドへの復帰が発表されました。

 

ユベントスFC:現在のNUMBER10

2015年6月にセリエA、パレルモからユベントスFCに移籍してきたのが、『宝石』という愛称を持つ、パウロ・ディバラでした。ユベントスFC移籍当初は、ジダン、テュラム、ピルロなど往年の名プレイヤー達の背番号『21』でした。加入初年度の2015~2016シーズンから34試合に出場19ゴール9アシストとユベントスFCの攻撃の要として高いパフォーマンスを発揮しました。

2016~2017シーズンには、ポグパのマンチェスター・ユナイテッド移籍に伴い1年で空白となった背番号『10』を受継ぐ事をチーム側から打診されました。しかし、ディバラは加入初年度からの愛着ある『21』を継続する事を選択します。このシーズン、ユベントスのセリエ6連覇、コッパ・イタリア制覇と共に、CL準優勝に大きく貢献しました。

そして、2017~2018シーズン開幕前、加入3年目にしてディバラ本人が背番号『10』に袖を通す事を決心しました。名門ユベントスFCの10番はアルゼンチンの若き至宝に受継がれています。

 

ユベントスFC:まとめ

長きに渡り、ユベントスFCで10番を背負ってきたデル・ピエロはチームと共に歩み続けました。栄冠の時も苦境期もチームと共にあり続けた10番だからこそ、セリエAの名門で10番を受継ぐ事が名誉に値するのでしょう。デル・ピエロ以後、10番を長く維持出来る選手に巡り合えていない事も明白な事実です。現代のフットボールでは難しいことかもしれません。しかし、今、ユベントスFCの10番を受継ぐパウロ・ディバラには、その才能と資質が十分過ぎる程にあるでしょう。新時代のデル・ピエロとして、ユベントスFCとディバラから目が離せません。

ユベントスFCで受継がれる10番に敬意を〆

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